人間の皆の衆、久しく吾輩が登場しなかったのは女中の怠慢によるものであることを述べておく。
吾輩は殿(との)である。
この女中、吾輩を餌で御することができるかのように見くびっている無礼者である。
やたら、猫用テリーヌだのチュールだのをかざして「ほら、ほら、殿ちゃん、おいしいのあるよ~出ておいで~」などとほざく。
冗談じゃない!「猫は食わねど高楊枝」、吾輩は餌ごときに猫魂を売り渡すほど下等ではない。
(とはいえ、女中が哀れだから渋々食べてやるくらいの猫情はある)
この女中と対極にいるのがイワだ。イワが昼ご飯を済ませて部屋に戻ってくると、立ち尽くした。
イワの席にルビー姉御が寝ているからだ。イワは高踏だ。猫に自分の椅子を譲るというのだ。
イワは黙って横の椅子に座ると、我輩を見た。なんという慈悲深い目だ。
そして、吾輩をなでた。なんという優しい手だ。吾輩の琴線に触れた。
イワの傍にいたいと思った。イワの家来になってもいいと思った。
このときだ。「どいてちょうだい!」 無神経な女中の声が平和を破り、ルビー姉御は無惨にも追い払われたのだった。
「どきな!」 猫を追い払う人間を吾輩は何人も見てきた。
人間は自分が生き物の中で1番上等と勘違いしている。
人間とはそのような野蛮なものと思っているから、吾輩は別に驚きやしない。
「イワオさん、どうぞこちらに座ってください」と、猫なで声の女中。
イワは黙っている。おぞましい人間のエゴをも達観しているように見える。女中の言う通り座った。
イワは何やら財布から紙切れをのぞかせ思慮している。この紙切れが吾輩には不思議だ。
人間を狂わせることもあるらしい。猫族にとってのマタタビのようなものか?解せぬ。
そこへ、デコがやってきたから、吾輩は椅子を譲った。年長者への礼儀は猫族でも常識だ。
袴田家の平和な一家団らんだ。人間の言葉はいらない。
ルビー姉御は、いつみても美猫だ。しかし美しいバラには棘がある。
吾輩にはパンチを浴びせるという非情・・それゆえ告白できない。
じつは、彼女は長~~い。長さでは浜松の鰻に勝てるであろうか?
え?毛がモジャモジャ?それはルビー姉御、ブラシが嫌いで逃げ回るから仕方ない。
吾輩とルビー姉御が、イワとデコの家に来てちょうど丸2ヶ月だ。
吾輩には、いささか寂寞の感はある。外に出て気の向くままに歩き回ったり、横丁のミケ嬢やお寺のトラ君たちとの付き合いが絶たれているからだ。が、幸いイワやデコという人間に知己が出来たのでさほど退屈とも思わぬ。
これからも、つぶやくこととする。