中島 直医師がみた釈放当時の袴田巖さん
『精神医療』という雑誌、94号に「袴田巖さんの主治医になって[第2回]」という記事(考察)があります。
多摩あおば病院の中島 直医師によるものです。
多摩あおば病院は、巖さんが釈放直後に入院したところ。
そこの精神科救急病棟個室に。
出所ほやほやの巖さんのことが綴られていて興味深いです。
ちょっと、一部をご紹介しましょう。
・・・の表示は私がつけたもので、文章が飛んでいる意味。()内の記述は私です。
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●入院初日
袴田さんを受け入れるにあたって、きちんと治療し、あるいは大過なく入院生活を送っていただく自信があったわけではない。ただ、自信を持って言えたのは、今の袴田さんを自信を持って治療できる人は存在しない、ということである。・・・
・・・袴田さんは、最初は自分の部屋にいることが多かったが、徐々にホールに出てきて、自然にテレビの前の特等席を占拠するようになった。
・・薬については「飲まない、病気じゃないから、薬なんか飲んだら病気になっちゃう」と強く主張し、急性胃腸炎と思われる下痢・嘔吐があったときの胃腸薬を除くと、ほぼ一貫して拒否された。・・・
(薬を拒否されるのは、今も同じですね・・)
・・・袴田さんは、一貫して自分の名を否定していたが、帰室の時は常にこの「袴田巖」の名札の部屋に間違えすに入っていった。
●入院翌日、翌々日
翌日は土曜であった。私は本来出勤日ではないのだが、顔を出すことにした。・・・ふと散歩に出ようと思い立った。袴田さんに、外に出てみませんかと声をかけた。「出られるといいんだけどなぁ。」と言われた。意味がよくわからなかった。拘置所とかでは職員が収容者を外出させようと思ってもいろいろな規則で事実上できない。でもここは病院で、私が外出させていいと言えば外出できる。それを袴田さんに告げた。でも答は同じであった。
「出られるといいんだけどなあ」
もうこれは口で説明しても駄目だ。連れ出そうと思った。外に出る旨を告げたら着いてきた。足を引きずるような歩き方なので、車いすを勧めたが、頑として拒否された。一緒に病棟を出て、エレベーターで1階に行き、外来の待合室を通った。・・・桜が半分くらい咲いていた。ベンチまで歩いて腰掛けた。・・・袴田さんはまぶしそうな顔をしていた。私は元来世間話というのが苦手であるが、桜や浜松、ボクシングの話などをした。袴田さんは相づち程度であった。一言、「自由になれるといいんだな」と言ったのが印象的であった。・・・
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なんだか、ドキドキして読みました。
続きは明日にしたいと思います
お別れは、今の巖さん。外に出られて本当~~によかった
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