2018年01月27日
袴田巖さんと電話
「もしも~し・・巖さん、今日は、お仕事に行かれますか?」
「仕事?仕事、いきますよ」

「何時に行かれますか?」

「そうだね・・12時・・お昼だね。昼飯食ってからだね」
「あ~昼ご飯食べてからね。今日は、どこに行かれるんですか?」

「今日は、街のほうへいくんだがね」
「今日は街ですか。お昼ご飯は・・今日なんですか?」
「アハハハハ」と秀子姉さんが出てきてしまった!
これだけの巖さんとの電話。
一体なんなの?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
でも、巖さんを知る方はビックリ
ではないでしょうか。
巖さんと電話で話ができるなんて。
実は、去年も一度巖さんと電話で話をしたことがあり、今日は2回目でした。
秀子姉さんに電話をかけて、巖さんの様子を聞いたら・・
「ちょっと、待って。巖と代わるで」と秀子姉さん。
そして、先の会話となったのでした。
街を歩くことは、巖さんにとっては「仕事」です。
巖さんは、48年も外部と遮断された刑務所生活を強いられ、4年前に釈放されて秀子姉さんの元に帰ってくるまでの20年近く?面会も拒んで人と話をすることはなかったと聞いています。
長い間自由を奪われ、死刑執行の恐怖にさらされ、何より無実なのに死刑の身となった不条理。そこから、ご自分だけの「まっとうな」精神世界を構築して生きてこられたし、今も「そっち」と「こっち」を行き来していらっしゃる巖さん。特に午前中は「そっち」にいらっしゃることが多いので、お姉さんから電話を渡されて、すぐに「こっち」の会話をされるというのは画期的な出来事だと思うのです。
巖さんは、私をわかっておられたと思います。
完全に「こっち」に戻ってくる必要条件は、無罪判決です。
日々の生活での「こっち」での変化も嬉しいことですが、早く必要条件・無罪が確定することが熱望されます。
明日は、「無実の袴田さんに無罪判決を 1・28清水集会」がYMCAアジア青少年センターで午後2時からあります。
先日の「わかる会」ゲストのジャーナリスト青柳雄介氏が、また清水集会のゲストです。
熊本典道元判事と巖さん・秀子姉さんが対面した時に同行取材。
その歴史的な話も聞けると思います。
みなさま、どうぞお出かけください。
秀子姉さんも参加します。
巖さんは、どうでしょう・・?
多分、私は巖さんのお供をして浜松の街を歩くことになるのではないかとおもいます。
そんなこんなで。巖さんとの電話がうれしくなって・・ブログに書きました

「仕事?仕事、いきますよ」









「アハハハハ」と秀子姉さんが出てきてしまった!
これだけの巖さんとの電話。
一体なんなの?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
でも、巖さんを知る方はビックリ

巖さんと電話で話ができるなんて。
実は、去年も一度巖さんと電話で話をしたことがあり、今日は2回目でした。
秀子姉さんに電話をかけて、巖さんの様子を聞いたら・・
「ちょっと、待って。巖と代わるで」と秀子姉さん。
そして、先の会話となったのでした。
街を歩くことは、巖さんにとっては「仕事」です。
巖さんは、48年も外部と遮断された刑務所生活を強いられ、4年前に釈放されて秀子姉さんの元に帰ってくるまでの20年近く?面会も拒んで人と話をすることはなかったと聞いています。
長い間自由を奪われ、死刑執行の恐怖にさらされ、何より無実なのに死刑の身となった不条理。そこから、ご自分だけの「まっとうな」精神世界を構築して生きてこられたし、今も「そっち」と「こっち」を行き来していらっしゃる巖さん。特に午前中は「そっち」にいらっしゃることが多いので、お姉さんから電話を渡されて、すぐに「こっち」の会話をされるというのは画期的な出来事だと思うのです。
巖さんは、私をわかっておられたと思います。
完全に「こっち」に戻ってくる必要条件は、無罪判決です。
日々の生活での「こっち」での変化も嬉しいことですが、早く必要条件・無罪が確定することが熱望されます。
明日は、「無実の袴田さんに無罪判決を 1・28清水集会」がYMCAアジア青少年センターで午後2時からあります。
先日の「わかる会」ゲストのジャーナリスト青柳雄介氏が、また清水集会のゲストです。
熊本典道元判事と巖さん・秀子姉さんが対面した時に同行取材。
その歴史的な話も聞けると思います。
みなさま、どうぞお出かけください。
秀子姉さんも参加します。
巖さんは、どうでしょう・・?
多分、私は巖さんのお供をして浜松の街を歩くことになるのではないかとおもいます。
そんなこんなで。巖さんとの電話がうれしくなって・・ブログに書きました

Posted by 袴田家物語 at 23:30│Comments(0)
│無実の死刑囚 袴田巌さんとともに