2023年10月28日
袴田事件 再審初公判傍聴しました
ひで子姉さんと静岡地裁へ
出発前も自宅前で囲み取材が。
(ジャーナリスト大谷昭宏さんも駆けつけてくださいました。新幹線もご一緒でした。写真はお顔が切れてすみません)
弁護団とひで子姉さんは弁護士会館に集合しました。
10時20分弁護士会館を出発、地裁に向かう西嶋団長と。

たくさんの人が地裁前につめかけ、鴨志田裕美弁護士の姿も。(ひで子姉さんどこだ?)

あ、後ろ姿ですが・・右の男性は足利事件で再審無罪になった菅家利和さんです。
すみません、お顔見えず

ひで子姉さんは、ずっと先に。駆けつけてくださったみなさんの応援を受けて。

初公判、傍聴してきました。カメラ、携帯電話など持ち込めず写真はありませんが。
11時を数分過ぎて、國井裁判長の「審理を開始します」の声で、巖さんの再審がついに幕を開けたのでした。
獄中で巖さんが渇望していた再審・・・
昨日、自分の姿が映し出されるテレビ画面を虚ろな目で見ていた巖さんの姿が脳裏に浮かび、喜びと切なさが入り混じった思いでした。
検察の起訴状朗読等の後、巖さんに代わってのひで子姉さんの罪状認否となり・・
立ち上がろうとするひで子姉さんに、裁判長は「ゆっくりで結構です。立たれますか」と、労りの声をかけられました。
立って証言台に進んだひで子姉さん、裁判長を前に朗々と述べました。
「1966年11月15日、静岡地裁の、初公判で、弟イワオは無罪を、主張致しました。それから57年にわたって、紆余曲折、艱難辛苦がございました。本日、再審裁判で、再び、私も、弟イワオに代わりまして、無罪を主張致します。長き裁判で、裁判所、並びに、弁護士、及び検察庁の皆様方には、大変お世話になりました。どうぞ、弟イワオに、真の自由をお与えくださいますよう、お願い申し上げます」
法廷に響きわたったひで子姉さんの57年の思いは、皆の心を打つもので法廷の空気が変わった気がしました。
何度も涙をぬぐう角替清美弁護士・・その対面にいる能面のような検察官
小さなひで子姉さんの後ろ姿が、とても大きく見えたことでした。
少しして、弁護側の冒頭陳述(総論)に立った小川秀世弁護士・・マグマが噴き出すような気迫で「はじめに」から陳述されました。
以下、どうしてもここに(1)を載せたい。(読みやすいように1行空けたのは私)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この裁判は、再審開始決定が確定して始められた袴田巖さんの再審公判です。
しかし、本日のこの法廷には、袴田さんの姿はありません。袴田さんは、無実の罪で死刑判決を受けたことで精神を病み、この法廷に出頭することにも耐えられないことから、裁判所も出廷を強制できなかったのです。
誤った死刑判決は、袴田さんに48年間もの拘置所生活を強いてきたとともに、釈放されても回復しがたい重大なダメージを与えてしまったということです。
このように袴田さんのこれまでの人生を奪い,精神世界をも破壊してしまった責任は、重要な証拠を次々にねつ造し、野蛮で唾棄すべき違法捜査を繰り返した警察にあり、さらには無実を示す証拠を隠蔽し、警察と共謀して犯罪的行為を行ってきた検察にあり、それを安易に見逃してきた弁護人や裁判官にもあるはずです。
そうであれば、この再審公判は、形式的には被告人は袴田さんですが、ここで本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、さらに弁護人及び裁判官であり、ひいてはこの信じがたいほど酷いえん罪を生み出した我が国の司法制度でもあるというべきです。
今日、この法廷に集まり、裁判を担い、傍聴している私たちは、まずこのことを頭におかなければならないはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思わずスタンディングオベーションをしたくなった私でしたが、堪えました。
よくぞ言ってくださいました。涙がでます。にこやかな小川先生、まるで別人でした!
検察に聞こえたでしょうか・・。
聞く耳があったら、検察もこれ以上誤り重ねずにすむのに・・。
この後、延々と検察の有罪立証が続くのですが、「推認」ばかりで公判後の記者会見で笹森弁護士が言ったように、だから何?という話。
眠くなる人も(よくわかるけど、後ろの傍聴席の人、いびきかくのでノートで後手で足叩いた
)。
公判後の弁護団とひで子姉さんの記者会見


いろんな質問出ましたが・・
中に、ひで子姉さんに「検察にまでお世話になりましたと言ったのは何故?」というのがありました。
ひで子姉さんの答えは、「礼儀です」。
また、今日着用している洋服は、2014年3月27日静岡地裁で再審開始が出された時に着た時のものだとも。
「あれから1度も着ていないから、着て来た。げんを担ぐっていうか」と。

「ひで子さん、疲れないですか」との質問も。
これは皆さん心配してくださって何人もの方から聞かれました。
「いいえ、私は疲れやせんよ」
最後に、お昼の休憩時のひで子姉さん。
今日の大役務めた小川先生と(あー、田中薫先生ごめんなさい)。

山崎俊樹さんと。

この後、歩き回っていました。「じっとばかり、しちゃおれん」
帰宅したら、巖さんは・・「ジュースちょうだい」。ドライブから帰ってお寛ぎでした。

初公判に駆けつけてくださった皆様、離れたところから応援してくださった皆様、ありがとうございました!
次回公判は、11月10日です


(ジャーナリスト大谷昭宏さんも駆けつけてくださいました。新幹線もご一緒でした。写真はお顔が切れてすみません)

弁護団とひで子姉さんは弁護士会館に集合しました。
10時20分弁護士会館を出発、地裁に向かう西嶋団長と。

たくさんの人が地裁前につめかけ、鴨志田裕美弁護士の姿も。(ひで子姉さんどこだ?)

あ、後ろ姿ですが・・右の男性は足利事件で再審無罪になった菅家利和さんです。
すみません、お顔見えず


ひで子姉さんは、ずっと先に。駆けつけてくださったみなさんの応援を受けて。

初公判、傍聴してきました。カメラ、携帯電話など持ち込めず写真はありませんが。
11時を数分過ぎて、國井裁判長の「審理を開始します」の声で、巖さんの再審がついに幕を開けたのでした。
獄中で巖さんが渇望していた再審・・・
昨日、自分の姿が映し出されるテレビ画面を虚ろな目で見ていた巖さんの姿が脳裏に浮かび、喜びと切なさが入り混じった思いでした。
検察の起訴状朗読等の後、巖さんに代わってのひで子姉さんの罪状認否となり・・
立ち上がろうとするひで子姉さんに、裁判長は「ゆっくりで結構です。立たれますか」と、労りの声をかけられました。
立って証言台に進んだひで子姉さん、裁判長を前に朗々と述べました。
「1966年11月15日、静岡地裁の、初公判で、弟イワオは無罪を、主張致しました。それから57年にわたって、紆余曲折、艱難辛苦がございました。本日、再審裁判で、再び、私も、弟イワオに代わりまして、無罪を主張致します。長き裁判で、裁判所、並びに、弁護士、及び検察庁の皆様方には、大変お世話になりました。どうぞ、弟イワオに、真の自由をお与えくださいますよう、お願い申し上げます」
法廷に響きわたったひで子姉さんの57年の思いは、皆の心を打つもので法廷の空気が変わった気がしました。
何度も涙をぬぐう角替清美弁護士・・その対面にいる能面のような検察官
小さなひで子姉さんの後ろ姿が、とても大きく見えたことでした。
少しして、弁護側の冒頭陳述(総論)に立った小川秀世弁護士・・マグマが噴き出すような気迫で「はじめに」から陳述されました。
以下、どうしてもここに(1)を載せたい。(読みやすいように1行空けたのは私)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この裁判は、再審開始決定が確定して始められた袴田巖さんの再審公判です。
しかし、本日のこの法廷には、袴田さんの姿はありません。袴田さんは、無実の罪で死刑判決を受けたことで精神を病み、この法廷に出頭することにも耐えられないことから、裁判所も出廷を強制できなかったのです。
誤った死刑判決は、袴田さんに48年間もの拘置所生活を強いてきたとともに、釈放されても回復しがたい重大なダメージを与えてしまったということです。
このように袴田さんのこれまでの人生を奪い,精神世界をも破壊してしまった責任は、重要な証拠を次々にねつ造し、野蛮で唾棄すべき違法捜査を繰り返した警察にあり、さらには無実を示す証拠を隠蔽し、警察と共謀して犯罪的行為を行ってきた検察にあり、それを安易に見逃してきた弁護人や裁判官にもあるはずです。
そうであれば、この再審公判は、形式的には被告人は袴田さんですが、ここで本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、さらに弁護人及び裁判官であり、ひいてはこの信じがたいほど酷いえん罪を生み出した我が国の司法制度でもあるというべきです。
今日、この法廷に集まり、裁判を担い、傍聴している私たちは、まずこのことを頭におかなければならないはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思わずスタンディングオベーションをしたくなった私でしたが、堪えました。
よくぞ言ってくださいました。涙がでます。にこやかな小川先生、まるで別人でした!
検察に聞こえたでしょうか・・。
聞く耳があったら、検察もこれ以上誤り重ねずにすむのに・・。
この後、延々と検察の有罪立証が続くのですが、「推認」ばかりで公判後の記者会見で笹森弁護士が言ったように、だから何?という話。
眠くなる人も(よくわかるけど、後ろの傍聴席の人、いびきかくのでノートで後手で足叩いた

公判後の弁護団とひで子姉さんの記者会見


いろんな質問出ましたが・・
中に、ひで子姉さんに「検察にまでお世話になりましたと言ったのは何故?」というのがありました。
ひで子姉さんの答えは、「礼儀です」。
また、今日着用している洋服は、2014年3月27日静岡地裁で再審開始が出された時に着た時のものだとも。
「あれから1度も着ていないから、着て来た。げんを担ぐっていうか」と。
「ひで子さん、疲れないですか」との質問も。
これは皆さん心配してくださって何人もの方から聞かれました。
「いいえ、私は疲れやせんよ」
最後に、お昼の休憩時のひで子姉さん。
今日の大役務めた小川先生と(あー、田中薫先生ごめんなさい)。

山崎俊樹さんと。
この後、歩き回っていました。「じっとばかり、しちゃおれん」
帰宅したら、巖さんは・・「ジュースちょうだい」。ドライブから帰ってお寛ぎでした。

初公判に駆けつけてくださった皆様、離れたところから応援してくださった皆様、ありがとうございました!
次回公判は、11月10日です

この記事へのコメント
貴重なお写真&レポートありがとうございます。いよいよですね。巖さん、お姉さま、関係者の皆さまの、長年の尽力が報われることを願っております。闘いはまだまだ続きます。どうか皆さま、ご自愛下さいませ。
Posted by K太 at 2023年10月28日 09:35
小川弁護士のお言葉、検察は何を思ったのでしょうか…巌さんの真の自由を心から祈っています。
お身体に気を付けて巌さん、ひで子さん、支援者の皆さま、お過ごし下さい。
お身体に気を付けて巌さん、ひで子さん、支援者の皆さま、お過ごし下さい。
Posted by そらがく at 2023年10月28日 10:44
貴重な情報をいつもありがとうございます。巌さん、ご家族、関係者の皆さまが長年切望してきた再審が、ようやく始まりましたね。小川弁護士のお言葉、読んでいて涙が出ました。巌さんが真の自由を取り戻せるよう、心から祈っています。巌さん、ひで子さん、弁護団の皆さま、支援者の皆さま、長年の尽力が報われるまであともうひと踏ん張り、お身体に気を付けてお過ごし下さい。
Posted by むつも at 2023年10月28日 12:39
こんにちは(^-^)
皆さん昨日はお疲れ様でした。
私は仕事が抜けられず傍聴席の抽選に参加出来ませんでした。
ですが小川弁護士の言葉を読んでこみ上げる気持ちを感じました。
あと半年、支援続けて無罪を勝ち取りましょう!
皆さん昨日はお疲れ様でした。
私は仕事が抜けられず傍聴席の抽選に参加出来ませんでした。
ですが小川弁護士の言葉を読んでこみ上げる気持ちを感じました。
あと半年、支援続けて無罪を勝ち取りましょう!
Posted by お体大切に(^-^) at 2023年10月28日 15:24
小川弁護士、頼もしい!
またひで子姉さんの言葉には、私たちには想像も絶する長年のご苦労があったことを思うと、改めて胸を打たれます。
あと半年くらいの戦いでしょうか、遠いところから願うだけしかできませんが、今度こそ、裁判所が正しい、人間としてまっとうな判断をされることを祈っています。
またひで子姉さんの言葉には、私たちには想像も絶する長年のご苦労があったことを思うと、改めて胸を打たれます。
あと半年くらいの戦いでしょうか、遠いところから願うだけしかできませんが、今度こそ、裁判所が正しい、人間としてまっとうな判断をされることを祈っています。
Posted by まりお at 2023年10月28日 18:57