袴田事件再審 被告の姉・袴田ひで子の最終意見陳述

袴田家物語

2024年05月23日 23:39

最終意見陳述では「巖の思いを述べる」と言っていたひで子姉さん・・


昨日結審した再審公判の最後、法定内に力強く響いたひで子姉さんの最終意見陳述を皆さまにもお届けします。

以下、袴田ひで子意見陳述です。(読みやすいよう1段落空けたのは筆者)
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ひとたび狙われて、投獄されれば、肉体深く食い込む虐待、あの虚偽、虚構の、覆われた部屋、あの果てしなく、底知れぬ眩暈、最早正義はない、立ち上がって、眩暈む、火花、壁に飛び散る赤い血、昔の悲鳴のように、びくりとし、立ち上がっても、投獄されれば、最早帰れない、最早正義はない。十三夜のお月さんが、南東に昇った7時の獄である。

息子よ、お前はまだ小さい、分かってくれるか、チヤンの気持ちを、勿論分かりはしないだろう、分からないと知りつつ声の限りに叫びたい衝動に駆られて成らない、そして、胸いっぱいになった、真の怒りをぶちまけたい。チャンが悪い警察官に狙われて逮捕された、昭和41年8月18日その時刻は、夜明けであった。お前はお婆さんに見守られて眠っていたはずだ。

今朝方、母さんの夢を見ました、元気でした、夢のように元気でおられたら嬉しいですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね。

弟巖の手紙です。そして、47年7か月、投獄されて居りました。

獄中にいる時は、辛いとか哀しいとか一切口にしませんでした。

釈放されて、10年経ちますが、いまだ拘禁症の後遺症と言いますか、妄想の世界に居り、特に男性への警戒心が強く、男性の訪問には動揺します。玄関の鍵、小窓の鍵など知らないうちに掛けてあります。就寝時には電気をつけたままでないと寝られません。釈放後、多少は回復していると思いますが、心は癒えておりません。

私も一時期夜も眠れなかった時がありました。夜中に目が覚めて巌の事ばかり考えて眠れないので、翌日の、仕事に差支えがあるために、お酒を飲むようになり、アルコール依存症のようになりました。随分前に回復しております。

今日の最終意見陳述の機会をお与えくださいまして、ありがとうございます。
長き裁判で裁判長様はじめ皆様には大変お世話になりました。

58年闘って参りました。私も91才でございます、巖は88才でございます。
余命幾ばくもない人生かと思いますが、弟巖を人間らしく過ごさせてくださいますよう、お願い申し上げます。

袴田ひで子

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これを聞いて、涙する人、人、人・・・

このとき、巖さんは見守り隊の車でドライブ、浜名湖にいました。

サービスエリアで大好きなアイスクリームを頬張る巖さん・・周囲には悲しいほど関心がありません。


浜名湖の風景にも無関心・・自販機に向かうは妄想の世界で「勝負」あるらし。



心打つ小川秀世主任弁護人の最終弁論については、次回ご紹介します




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