袴田事件再審 小川秀世主任弁護人の最終弁論

袴田家物語

2024年05月25日 23:31

5月22日に結審した袴田巖さんの再審・・

弁護側最終弁論の締めは、小川秀世主任弁護人でした。

小川弁護人の精魂こめた弁論には傍聴席から拍手が沸き起こったほど。
もちろん私も音を出さずに盛大な拍手を送りました。

公判4日前、巖さんと小川弁護士。


以下、小川秀世主任弁護人による弁論です(段落、1行空け、色字は筆者)

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最後に
 
 この再審公判の7か月、15回の審理において、巖さんの無罪が明白になりました。これは、再審請求審でねつ造の可能性が高いと指摘された5点の衣類が、ねつ造証拠であることがますますはっきりしたからです。

この点は、いままで具体的に論じてきたとおりです。ですから無罪であるとの結論はだれも動かすことはできません。私も、もう一度ここで確認させていただきます。袴田巖さんは、無罪です

 さらに、第1回の冒頭陳述で述べたとおり、この事件は、警察や検察官が作り上げた1人の犯人が、被害者全員が寝静まった深夜に侵入したという強盗事件とはまったく違ったものであることも、端的に巖さんの無罪を示すことになりました。  
  
犯人が複数であったことは疑いのないことです。しかも、犯人と被害者家族とは面識があり、4人ともまだ起きている時間に家に入り込み、4人を拘束して、痛めつけるように刃物で何度も刺した事件であるからです。当然、強盗事件ではなく、怨恨による殺人事件であったということです。

ですから、巖さんは犯人ではないというだけではなく、巖さんにはおよそ実行不可能であった事件なのです。

にもかかわらず、偶々、みそ会社に勤めており、みそ工場の2階の寮に住み、そして元プロボクサーであったことから、都合よく、捜査機関によって犯人にさせられてしまったということです。

警察や検察官は、真犯人に結び付く事実や証拠を隠してしまい、逆に、巖さんを犯人とする証拠をねつ造した結果、巖さんが4人を殺害した強盗殺人放火犯とされてしまったということです。

 世の中に、これほど不条理なことがあるでしょうか。

想像してください。自分とまったく無関係の事件で、捜査機関に事実や証拠を隠され、証拠をねつ造されてしまい、そのために死刑判決を受けることになったことを。

でも、それが巖さんの身に実際起こったことなのです。

 私は、この再審公判の第1回期日において、この事件で裁かれるべきは、警察官、検察官の捜査機関はもとより、関与した弁護人、裁判官さらには、我が国の刑事司法制度も裁かれなければならないと申し上げました。

 実際、弁護人が、ねつ造であるという巖さんの言葉に耳を貸さず、5点の衣類が犯行着衣であることを争わなかったことは決定的な誤りでした。さらに、逮捕された巖さんにほとんど接見もせず、警察と検察による不当、違法な取り調べを放置したことも、弁護人として、決してあってはならないことでした。

 同様に、裁判所も、血が付いているだけで、証拠もないまま5点の衣類を犯行着衣と認定し、ねつ造方向の検討をまったく怠ったことは、予断、偏見による裁判であったと言われても仕方ないでしょう。

 しかし、捜査機関の不正行為は、およそ信じがたいものでした。犯罪事実を正しく把握しようとするのでなく、はじめから真犯人に結び付く事実や証拠を隠してしまい、巖さんに結びつける証拠をねつ造したのです。

これは、捜査機関の犯罪です。

捜査機関による捜査手続きは、捜査の密行性によって守られているのです。その捜査の密行性に乗じて、警察や検察は、不正かつ違法な捜査を繰り返したのです。

第2次再審請求後の証拠開示がなされましたが、きわめて不十分な開示でした。しかし、証拠開示により、次々に捜査機関の不正、違法な行為が明らかになりました。

ズボンのBの記号について、検察官はサイズの記号でないことを知りながら、それを隠して裁判で嘘をついてきたこと、取調べの録音テープにより、取調官は、トイレにも行かせなかったにもかかわらず、便器を取調室に運んだのは巖さんが望んだからだなどと、平気で嘘をついてきたこと、隠されていた鮮やかな緑色ブリーフのカラー写真が開示されたことから、誰もが、1年以上赤みそに付けられていたものでなく、ねつ造証拠であることを確信できたのです。

このように証拠開示によって、捜査機関の不正、違法な行為が次々に明らかになったのです。

 これは、裁判所や弁護人、さらに一般の人に理解されただけではありません。検察官も、同じものを見ていたのですから、捜査機関の不正、違法行為を否定できなかったはずです。そして、検察官も、先輩達の愚かな行為に、眉をひそめたはずです。

しかし、そうであれば、なぜ、ここで再び巖さんが有罪であるなどと言われるのでしょうか。

 検察官が弁護人の立証を批判することは、特別抗告を断念したことで終わったはずです。ところが私たちの期待に反して、検察官が、この公判でも有罪立証を続けたのは、なぜなんでしょうか。差戻し東京高裁で、証言の信用性を完全に否定された法医学者に煽られたからでしょうか。それとも、単に、与えられた仕事だからというのでしょうか。

 しかし、検察官も、いい加減、真実に目を向けてください。どうして巖さんが犯人なんですか。どうして、5点の衣類が犯行着衣なんですか。

 検察官は、この公判の最初に、5点の衣類が犯行着衣であることを改めて立証すると宣言しました。いったいその証拠はどこにあるんですか。あんな鮮やかな緑のブリーフが、あんな真っ白なステテコが、1年2ヶ月間も赤みそに漬かっていたという証拠はどこにあるんですか。こんな動かしがたい事実を無視しながら、どうして立証できたなどと言えるのですか。

もう一つ、検察官は、袴田さんの自白を証拠としないと宣言しています。それは、自白調書に書かれていることは、嘘でしかないことを、検察官自身が認めたということです。巖さんが、60通もの調書に書かれた嘘の自白をした理由を、検察官も、わかっているはずです。警察官や検察官が、連日12時間以上の長時間、繰り返し自白しろと巖さんを責め、脅かし、トイレも行かせない取調べを行ったからこそ、嘘の自白をせざるをえなかったんではないですか。巖さんは、この事件に何も関わっていないから、嘘の自白をするしかなかったんではないですか。それ以外に、嘘の自白を繰り返す理由がありますか。 

 それなのに、どうして、検察官は、自分たちのしていることが、いまでも巖さんを苦しめるだけであることがわからないのですか。

 現在の巖さんは、外に出て買い物や食事をすることが日課です。毎日同じ自動販売機で同じ飲み物を購入し、同じ場所に座って飲食し、同じお店で同じ商品を購入し、最後に同じお店で同じ食事をするだけです。
巖さんに気が付いて声をかけたりする人がいても、巖さんは、振り向くこともありません。他人にはまったく無関心なのです。回りを見たり、振り返ったりすることは決してありません。

 このように、巖さんは、毎日、同じ行動を繰り返すばかりなのです。それは、釈放されたばかりのときに、毎日、同じように部屋の中を何時間も繰り返し往復していた行為と実質何もかわりません。同じ行動をすることで、どうにか不安を振り払っているのです。それを妨げる人がいれば、ばい菌の仕業であると考えるだけなのです。

 このように巖さんは、世の中に関心を向けることはなく、そもそも現実の世界を正しく認識しようともせず、人とのコミュニケーションもありません。

巖さんは10年前に釈放されました。しかし、心はまったく閉ざされたままの状態なのです。いつ死刑になるかもしれない恐怖に固く覆われているのです。だから、それを打ち消そうとする行為しかできないのです。恐怖を打ち消すだけの生活をしていると言ってもよいのです。

このように巖さんは、いまでも精神世界では、東京拘置所の狭い独房にいることと何も変ってないのです。人とのつながりによって幸せを感じることはありません。残念ながら、ひで子さんと手を取り合って無罪になったことを喜ぶこともできないのです。

 こんな巖さんに、この現実の世界に戻ってきてもらうことは、もはや不可能であるように感じます。それでも1日でも早く無罪判決がなされなければならないのです。間違った私たちにできることはそれ以外にはありません

そしてもう一つ大切なことは、裁判は誤ることが避けられないことです。しかし、誤った裁判は、取り返しがつかないということです。

誤った死刑判決は、いっそう重大です。

死刑が執行されなくても、巖さんのように、誤って死刑囚にされること自体が、国家の重大な犯罪行為です。実際、死刑判決が、巖さんの58年の人生を完全に奪ってしまったのです。

 にもかかわらず、検察官が、真実に目をつぶり、与えられた仕事だからと言い訳しながら有罪立証をしている限り、検察に対する批判や批難は、ますます大きくなるばかりです。

直ちに巖さんに謝罪して下さい。その上で、警察官のみならず、検察官が、なぜ不正、違法な行為を犯してしまったのか、そして今後どうすればよいのかを示すべきです。それが、検察に対する信頼を回復しうる唯一の方法であることは誰もがわかっているはずです。
検察官は、もう一度、真摯にこの事件への取り組み方を反省すべきなのです。

 もちろん、裁判所にもお願いしたいことがあります。いま、世界中の視線がこの裁判に向けられています。日本の裁判所が、どんな判断をすることになるのか、どのような形で正義を実現するのかが注目されているのです。

巖さんに対する無罪判決はもちろんですが、巖さんが辛く、苦しく、不条理な日々を58年間も送らなければならなかったのは、捜査機関の犯罪によるものです。こんなことは、二度とあってはならないことです。そのためにも、判決において、捜査機関の不正、違法な行為をはっきりと認定していただくことが必要であるはずです。

 最後に、ここで無罪判決がなされても、再審請求の申立からは、すでに43年も経過していることになります。この事件の判決が誤っていたことは、繰り返し指摘されていました。5点の衣類が犯行着衣であることについて、何の証明もなされていなかったからです。

ですから、早期の証拠開示がなされていれば、はるかに早い時期に再審が開始されていたはずです。これまで述べたように、証拠開示によって、重要な証拠が次々に出されてきたからです。

ということは、検察官は、裁判が間違っていたことも、自分たちが隠し持っている証拠によって、間違いが明らかになることも知っていたということです。この間、弁護人は、証拠開示を、何度も何度も請求していました。にもかかわらず、検察官は、証拠開示を拒否してきました。検察官は、死刑判決の間違いを正そうとはしなかったということです。

 しかし、間違った死刑判決を、検察官が知りながら放置することを許す制度など、とうてい民主主義国家のものとは言えません。間違った死刑判決を許容することは、罪もない人たちをガス室に送ることと何も変わりません。

巖さんに無罪判決がなされるべきことは、当然です。しかし、それだけで終わらせるわけにはいきません。

巖さんの無罪判決の後は、これまでの裁判が間違った原因の調査とその対策、さらにもし裁判が間違ったときには、速やかに間違いを改めることができる方策を、ぜひ早期に実現しなければなりません

 このようなお願いと期待を込めて、弁論を終わらせていただきます。

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9月26日に勝つ



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