2019年03月17日

第19回「袴田事件がわかる会」ニュース

第19回「袴田事件がわかる会」ニュース

「袴田事件がわかる会」(以後「わかる会」)トップバッターは、いつも秀子姉さんですマイク 
待ってました!

第19回「袴田事件がわかる会」ニュース

「86歳になりました!巖の事件は、まだ片づいてないですが・・・そんなこと言ってたら100年かかっちゃいます。巖は相変わらず拘禁症がひどいもんですからトンチンカンな話をするんですが、でも元気で街をあるいております。

裁判ですが、早く早くと言ってみたってはじまらない。これは、弁護士さんにお任せしてあります。

それで、巖の健康を守って、長生きさせようと思って、私もがんばっております。まぁ、100までとは言いませんが、90何歳かくらいまでは生きてもらいたいと思っています。現状だったら、可能ではないかと・・。ご飯も、まぁ、びっくりするくらいたくさん食べます。

血糖値も多少は年をとればしょうがない!ね!だからそんなことに神経を使わないで、ともかく明るく生きていこうと思っています。どうぞ、よろしくお願い申します」

秀子姉さんの力強い声が会場に響き渡りますスピーカー

次にゲストの新田渉世さんです。まず、直前に袴田家を訪問して巖さんと会ってきたことをご紹介。
第19回「袴田事件がわかる会」ニュース


新田さんは、日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会の委員長。気さくな方で、19歳横浜国立大の時にプロボクサーに。さらに学生結婚して子連れで授業に出たなどというエピソードも披露、開場を和ませましたニコニコ

袴田さんの事件を知った経緯や、初めてそのことを聞いたときに、あまりの理不尽さに頭に血が上り、今すぐ何とかしないといけないと思った事などを話され、実質新田さんの一人委員会から全国組織の日本プロボクシング協会で袴田巖支援委員会を発足させ、活動を軌道にのせるまでの話、さらに現在の活動の内容を語られました。

中でも、2007年、テレビ朝日の「報道ステーション」で、元裁判官の熊本典道氏が、1審の静岡地裁で自分が死刑判決文を書いた経過と心情(自分は袴田さんを無罪と考えていたが、3人の裁判官の多数決で負けて死刑判決文を書いたこと。その過ちを悔やんでいること)を告白したことに触れ、

「衆議院会館での記者会見で初めて(熊本さんに)お会いしました。もうお年だったのですが、本当に魂の叫びのようなお声で、袴田さんはやっていないと叫び続けたことが、(支援)運動にパワーを与えてくれたと思う。このニュースは・・国際的なニュースとなり、袴田事件が国際的に認知されるきっかけとなった」

ボクシング界の支援も、東日本から全日本に発展することができたとのこと。

また、新田さんが2007年6月に、確定死刑囚の巖さんと初めて面会を果たしたときに綴っていたブログを読み上げました。

私が、この時の様子を語って頂きたいとリクエストしていたことに応えてくださったのでした。

すでにこの時、巖さんは70歳を超えており、囚われて40年以上。新田さんが読み上げる巖さんの発した言葉やうなづく様子が、今の巖さんの言葉やしぐさと重なり、目に浮かぶようで、無実の声が届かない、死刑囚に貶められた巖さんの苦悩が迫ってくるようで、私は涙がこぼれそうになりました。が、司会がみなさんを前に号泣するわけにもいかず堪えて・・。

新田さんと巖さんの会話を一つご紹介。

「あなたはポパイの顔をしている」「あんたの顔は打たれ強い顔だ。ボクサーは打たれ強くないとダメだ。あんたの顔はポパイと似てるから打たれ強いはずだ」

「ほんとですか。ありがとうございます」

「おれも打たれ強かったからね。あんたにはパンチもあったはずだ。ボクシングで成功する人間だよ。おれにはわかる」

また、新田さんが袴田さんの支援について話をしたところ

「自分が正しいと思うことは、信念をもって貫くことも大事だからね。それは良いことだよ」と巖さん。

新田さんは、正義を守るという意識から発せられた言葉だと感じたとのこと。

今回の「袴田事件がわかる会」、大好評だった新田さんのスピーチは、後日、YouTubeにアップされます。

なので、ここでは省略。アップされたら、またブログでお知らせします。

最近の取組みについては過去ブログで紹介しましたが
ボクシング協会が記者会見で予告した「袴田事件」を漫画にしたものは・・

こちらでご覧いただけます下
http://jpbox.jp/hakamada/sd/sd1.html?fbclid=IwAR0XcbczTlbBgSkMV-Vl47n_o5RlKi9_g4Sf-4tB8pexqfkfSJzj-9M5ic4


「浜松 堀内ボクシングジム」の会長さんもご挨拶くださいました。
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この堀内会長さんのお父様が、国体代表選手の強化指導をされ、その中に巖さんもいたのです。

当時、堀内さんは7歳だったそうですが、巖さんのことをよく知る堀内さんのお父様、お母様は、巖さんのことを「かわいい子だった」と言われていたとか。

「これから袴田事件のことを、この会で勉強させてもらいます」と言ってくださいました。

今回の「わかる会」には、初めての方がたくさん参加してくださいました。

埼玉や愛知県、県内他市など遠方からも来てくださいました。中には、もうすぐ20歳の若者も。

また、巖さんに街でお声をかけてくださった若い方のお顔もあり、本当にうれしいことでした。

このところ常連さんが多かったため、前回の続きでお話した「人質司法」が、初参加の方にはいきなりで分かりにくいというご意見も賜りました。

確かにそうでした。すみません。

袴田事件について調べていくと、どうして無実が明白な証拠があるのに巖さんが死刑になってしまうのか、どうして裁判所は被告・弁護士より検察がの意見を優先してしまうのか、同じような冤罪事件がなくならないのはなぜなのかという疑問に突き当たります。

それについては、元裁判官や元検察官、弁護士、大学教授、ジャーナリスト他の方々が色々と問題を指摘しており、私ども主催者は、それらをお知らせして、みんなで認識を深め、不正義による袴田さんのような犠牲者を出さない社会に!まずは文字通り「わかる」ことを目指して会を開いています。

次回からは、初めての方もよ~くわかる「わかる会」にしていきます。

ご参加のみなさま、ありがとうございました。

みなさんが来てくださるので毎月、19回も続けらました。またどうぞ、お越しくださいませ。

次回、20回目「袴田事件がわかる会」は4月20日(土)。

ゲストは、袴田事件弁護団事務局長の小川秀世弁護士です。

会場は同じ、浜松復興記念館、午後1時半から。














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