2019年07月29日

第23回袴田事件がわかる会・続報 怒る桜井昌司さん

みなさま、お待たせしました!遅ればせながら続報です。

「袴田事件がわかる会」は、絶対へこたれない秀子姉さんの威勢のいい声でスタートスピーカー
もう、みなさん、お待ちかねです!
第23回袴田事件がわかる会・続報 怒る桜井昌司さん


みなさま、ようこそおいでくださいました。23回目でございますね。

今日巖がね、将棋盤出してくれっていうんです。2年ぶりぐらいですかね。

というのはね、前によく巖と将棋をやっていた荒木さんという女性記者が来てくれたから、「将棋やる?」と聞いたら、「将棋やってもしょうがないな」とそういうもんですから、あーまだ将棋やる気にはならないんだろうなと思って昼ご飯食べまして、そろそろ街に出かけるころだと思いましてチョッキ着せたんですよ。

そしたら、将棋盤出してくれっていって、今、将棋をやっているんですよ。

将棋は巖の楽しみだったんです。これが、また続くといいんですが。前もそうなんですが、巖は将棋をずっと続けてパタッとやめる。そしてまた続けるというようなパターンになるんです。まぁ、今日は荒木さんとどんな勝負になりますか。

それとね、6月の22日、巖が突然「新丸子へ行く」と言うんです。
第23回袴田事件がわかる会・続報 怒る桜井昌司さん


「あそう、では行こうね」とは言いましたが、でも私は新丸子ってどこだかわからない。

知らん顔して昼ご飯を食べ終てから、「今日、どこ行くの?」と聞いてみましたら、「新丸子。横浜から東横線に乗っていくんだ」って言うんですね。あ、そうか!不二拳へ行くって言ってるんだな、と思いまして。不二拳というのは、巖がプロボクサーになった時にいたボクシングクラブです。今は、ないんです。ですが、それを覚えているんですね。

とにかく「新丸子」というからには新丸子というとこに行かにゃしょうがないと思ってね、それで、行きましたの。私たちは新丸子なんて初めてで西口も東口もわかりません。とにかく足が向いたまま歩きましたら、お稲荷さんがあったんです。そこに丁寧にお参りしまして、次の駅まで歩いて探しましたがわからなくて、暑いし、くたびれちゃって、タクシーに乗せました。

タクシーで西口を回り、違うジムのところを通って、もう不二拳はないよ、と巖に言って、川崎の新田さん(日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会委員長、元東洋太平洋バンタム級王者、日本プロボクシング協会理事、川崎新田ジム会長)のジムにお邪魔しました。

新田さんには大変喜んで頂きましてね。大勢の方がいらしたんですが、夜の方がもっとにぎやかなんだそうですね。私は30分かそこらお邪魔して帰ろうと思っていたんです。そしたら、女性の方がいらしてね。今では、女性もボクシングしますよね。この辺の言葉で女衆(おんなしゅう)ですがね。

そしたら、新田さんの奥さんが「お見せしましょう」と言ってリングに上がって、(ミット打ちを)お見せくださいましたの。そしたら、巖は目をランランと輝かせて見ておりました。女性だからでしょうね、きっと(笑)。それで、あんたも登ってやってみる?と言ったら、「いやー、くたびれちゃうで、いいよ」といいました(笑)。やっぱり、年を感じますね(笑)。

あれ?どうしたの?(将棋相手の荒木記者が当会場へ)

「5分で負けました。他に手はないの?と(巖さんに)いわれました」と荒木さん。(会場爆笑)

そんなわけで、そろそろ帰ろうと思ったら、新田さんが「今岡会長が来るから待ってください」、とおっしゃるんですよ。今岡会長さんが(渋谷から?イマオカジム会長、第34代 OPBF東洋太平洋フェザー級チャンピオン)駆けつけてくださったんです。巖に「先輩と同じフェザー級です」なんて挨拶してくださってね。

巖はボクシングジムの外に出て、なんとかかんとかで・・って言って隣の家に入っていこうとするんですよ。隣の家だからダメだといって戻したら、「あそこのところが機械があがる」とか、わけのわからんことを言うんです。あれは、マンションだよというと、「あー、マンションか・・」とおとなしく戻って、スパーリングかなんか見てましたがね。昔の思い出が、少しづつ蘇ってきているのですね。

チョコチョコへんなことも言いますが、変なことを言いながらも、昔あったこと、昔出合った人というのも思い出しているんだと思います。

私達の裁判も長くなりました。もう50何年ですよ。これもまぁ、しょうがない。わたしくしは、とにかく頑張ってまいります。どうそ、ご支援よろしくお願い申します。

(この時の様子は、6月22日の当ブログでご覧いただけます)

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こちらも、お待たせしました!布川事件冤罪犠牲者の桜井昌司さんです。
第23回袴田事件がわかる会・続報 怒る桜井昌司さん

(後ろに、まだまだご参加の方がいらっしゃいます)
話を一部抜粋してのご紹介です。
第23回袴田事件がわかる会・続報 怒る桜井昌司さん


「52年前に布川事件にあいました。20歳でした」と切り出した桜井さん。

「私も20歳当時に冤罪を訴えている人がいることを知っていました。でも、(自分が)冤罪にあうとは思わなかった。昭和42年当時というのは、冤罪があるとか、警察がウソをつくとか、裁判所が間違うなんてことは、知らなかったですね」

「いまでも、結構、警察って真面目だとか、裁判官は神のごとく存在で間違わないと思っていらっしゃる方もいらっしゃるでしょうけど、ただ頭がいいだけなんですよ」

ここから痛烈に冤罪をつくった警察、検察を批判されました。

組織になると、警察ほど酷い組織はない、間違ったことでも平然と正義と言える。組織的に決めたことを、「いや、それは違っています」と言わない。間違っていても白を黒と言いくるめる名人だと。

「人間って、頭がいいと、人間もいいと思うじゃないですか。絶対違いますから」(会場笑)。

「いい男が、決していい人格を持ってるわけでない。司法試験に合格したからっていい人、じゃないんです。私、確信持ちましたね、冤罪になって。なぜこんな人たちが裁判官になったり検察官になったりしていられるんだろう・・と」

話は「イノセンスプロジェクト」に及び・・

「みなさん、イノセンスプロジェクトってご存知ですか。冤罪を調べるという民間の組織なんです。アメリカから始まった組織なんです。今、日本にもあります。台湾にも韓国にもインドにもタイにも・・冤罪はどの国でもあります。色んな国の人と話したんですが、日本には特色があります。それは、日本の警察が証拠を捏造するんです」

そして、桜井さんが「イノセンスプロジェクト総会」に招かれてビックリしたという話は、会場のみなさんをもビックリさせました。

「去年、私は台湾でのイノセンスプロジェクト総会に招かれました。講演しました。

冤罪をなくそうという組織の総会に来て、冒頭に挨拶したの、誰だと思いますか。

台湾の検事総長なんですよ。

びっくりですね。しかも、きれいごとじゃないんです。

冤罪は必ず作られる、冤罪を無くすためには法律の改正も必要だし、みんな力を合わせなくてはならないって、検事総長が言うんですよ。

しかも、つい先日は検察官が請求した冤罪事件が解決したって、すごいですね。すごい進んでいるんですよ」

それに比べて日本の検察!冤罪作っても反省しないことを、足利事件の例で紹介。

「なぜ菅家利和さんを犯人にしてしまったのか。DNAの技術が未熟だった、菅家さんが迎合性が強くて自白の嘘を見抜けなかった・・これ、反省になってます?違いますよね。無実の人を「やった」と言わせてしまった取り調べがまずいんじゃないですか。反省の仕方が、ポイントが違うんですよ」

「台湾でも冤罪がありました。1984年に最初にピストルを使った銀行強盗事件。犯人が捕まりました。現場検証に連れ出したら、彼は橋から飛び降りて死んじゃったんです。その1カ月後か2カ月後に、真犯人が捕まったんですよ。

これを契機として、台湾は、どうやったら冤罪を防げるかということを国会を含めて、まず、取り調べを可視化しようとか、取り調べを改善しよう、さらに証拠閲覧権を裁判当事者に与えるとか、いろんな制度改革がどんどん進んできているんです」

そして、1980年代の死刑再審無罪4事件、熊本の免田事件、香川県の財田川事件、静岡の島田事件、宮城県の松山事件での日本の対応の実態に怒りました。

「有名な話なんですけど、検察庁だけが反省しました。検察官合同と称する首脳会議を開いて、なぜ4人の死刑囚が無罪になってしまったのか、検討したんですって。

4人の死刑囚、なぜ冤罪にしてしまったのかじゃないんですよ。その結果、倉庫にしまってある証拠を出し過ぎた、というのです。以後、証拠を出さないようにしようと決めた。これ、事実なんですよね。恐ろしい国ですよね。4人もの無実の人が死刑になってたのにですよ。もちろん、国会も動かないですね」

「その死刑4事件は、本来だったら日本の司法を根本から変えるきっかけを、日本は全然逃してしまった。国民もスルーしてるじゃないですか。なんていう・・どうしたらいいのかという怒りがこの頃わいてきましてね。・・・」

地裁、高裁の再審開始決定を最高裁がひっくり返した大崎事件にも言及、日野町事件で証拠操作した警察の話も織り交ぜ、布川事件での証拠隠しの実態も話して・・

「3月20日に冤罪被害者の会を作った。なんで作ったか、なぜ証拠を捏造した人が捕まらないんですか。警察官が捜査をするにあたって、証拠を捏造して平気でいられるんですか。犯罪じゃないですか。もう新しい法律の罪名決まってるんです。捜査捏造罪。警察官が偽証を行い、あるいは証拠を捏造した場合、その行為によって罪を得たものと同等の罪を得ることです」

「嘘つかなきゃいいだけなんです。証拠を捏造しなきゃいいだけなんです。そういう法律作りたいと思っているんです」

「検察官が無実につながる証拠を隠した場合、その行為によって罪を得たものと同等の罪を得る事です。袴田さんの証拠を隠し続ける、今の検察官も同じですよ。今、袴田事件に関わっている検察官も同じ罪を背負ってもらうんです。そうじゃなくては、おかしいじゃないですか。税金で集めた証拠を、まるで我が物のようにして、見せる、見せない、見せる必要がないなんて、そんなの、おかしいと思いませんか」

第23回袴田事件がわかる会・続報 怒る桜井昌司さん


「実は、布川事件でね、私、2011年にお陰様で無罪になったんですけど、検察庁と法務省は、桜井昌司と杉山卓男が犯人であることに変わりはないと言っているんです。たまたま自白という難しい部分で裁判所の判断が違ったにすぎないんだと。じゃあ、今でも隠している証拠を見せてもらいうじゃないかと私は思ったのです。それで、国賠裁判を始めたんです」

「冤罪になって、私は一人の命ほど大事な物はないと気づかされたんです。みんなのために死んでいい命なんか、ない。絶対ない。一人の命を守るために国家ってあるべきだと気づかされた。色んな事がわかって、こんなおかしな社会に気づく、人のありがたさ、支援してくれる人がいる、感動しました」

「もう一つ気がついたことは、この世の正義は、警察官や裁判所が守っているのではなくて、「おかしいよ」って声をあげている人が守っている気がした。日本が平和で戦争がないのも、戦争はダメだと声をあげている人達がいるからだ。人権なんて言ってんじゃない、もっと大事なことがあるんだなんて言っている人達がいますよね。あるわけないでしょ。一人の命を救うのが政治なんですよ」

桜井さんは、死刑に対する反対の立場も明確です。

「死刑囚でも、そうです。たとえ、人を殺している人でも、国として人を殺す権利なんて絶対にないんです。一人の命を大事にするという観点にたったら、国は死刑になんかできないと思うんです。色んな思いの人がいるんですから、賛成の人もいれば反対の人もいる。とても死刑なんかできない」

被害者感情に対しては、それを癒すのが国家の仕事だと明言。

「冤罪犠牲者の仲間を集めて、日本の司法を変えようと思います。袴田さんを必ず救い出さないといけませんから。袴田さんはじめ、冤罪仲間がたくさんいますので、その人たちが早く勝てるように頑張っていきたい。ぜひ今後とも私たちの活動を応援してほしい」と結ばれました。

歌手でもある桜井さんに、最後に歌のリクエスト。

桜井さんの弁護団長が去年急逝されたとのこと。桜井さんは、山形県生まれのその弁護団長に感謝を込めて最上川舟歌を歌ってくださいました。
第23回袴田事件がわかる会・続報 怒る桜井昌司さん


情感あふれる魂の響きが会場を包みました。

今度また、いらしたら歌ってくださるとのこと。

桜井さん、指切った!お待ちしています~。








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