2019年05月29日
第21回「袴田事件がわかる会」 遅ればせながら続報
昨日の当ブログ記事「布川事件国賠勝訴バンザーイ」にコメントを頂きました。
どうぞ、ご覧くださいませ。
さてみなさま、「袴田事件がわかる会」(以下、わかる会)続編は忘れたころにやってくる
おまたせしました~秀子姉さんです。文中()は私。一部省略。

「みなさん、こんにちは。ようこそおいでくださいました。この事件が起きたのは、私は33の時でした。それから53年経っておりまして86才ということですが、私は33歳までは、好きなことしてね、生きてきましたの。若かったからですが。
仕事もしてるし、写真も色々写してあったんですが、事件が起きた時に、アルバムなんか全部処分してしまおうと思いましてね。一切ないものとして、しまい込んであったんです。
やっとこの頃・・その封印がとけましてね。53年ぶりに若いころの写真をながめました。
まだ巖の事件は片付いてはおりませんが、そう言ってもしょうがないと思いまして・・まぁ、また33歳(事件)前の気分になろうと思いまして。53年前といえば、若いですね。もう本当に可愛らしい女の子でしたよ(笑)。今は、こんな、にくらしいババアになっておりますが、ワッハッハー。
ともかく、まだまだ頑張っていけると思っています。100才までには、まだ14年もございますの(笑)。14年あればね、なんとかできる!そう思ってね。皆様の応援を受けて、がんばってまいりますので、どうぞよろしく申します」
話に出た写真の1枚、お見せしましょう・・バリバリのキャリアウーマンです。

ゲストの門間幸枝さん

門間さんご夫妻が代表、副代表の「無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会」は、1980年11月19日、最高裁で袴田巖さんの上告が棄却された日、つまり死刑が確定した日、この不正義に怒った人達が最高裁の中庭で直ちに結成した会だそうです。社会評論家の高杉晋吾氏が代表となり、郡司信夫さん(ボクシング評論家)、寺山修司さん(詩人)、金平正紀さん(日本ボクシング協会会長)、川上林成さん(元東洋ジュニアミドル級チャンピオン)、松永喜久さん(ボクシングマガジン編集部)を世話人に、「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」として発足、それを受け継いで現在も精力的な活動をしています。
クリスチャンである門間幸枝さんは、ご自身が袴田事件に出会うまでのことから、現在の国内外の活動について話されました。
ご家族でピースボートで旅したお話、フィリピンのスモーキーマウンテンでゴミの街、そこで暮らす人々を見、戦争の爪痕を見、人権に目覚めたお話は、これまでの「わかる会」には登場しない内容で、ご参加の方々にも好評でした。
門間さんの会では、巖さんの獄中書簡集『主よ いつまでですか』を編纂しており、その際、涙なくしては読めない膨大な手紙の中から苦渋の選択をして本にしたエピソードも語られました。(よくぞ、世にだしてくださったと、私は感謝の気持ちでいっぱいです。なぜなら、その本が私を突き動かして今があるからです。多分、これを読んでいなかったら「わかる会」もやっていないし、袴田家に出入りしていない)
「無実なんだから、その無尽蔵の証拠があるはずだ。それを見いだせないのはお前たちの怠慢だ!」と当時の弁護士に言われ、クリ小刀他、会員で無実の証拠集めに奔走したお話、熊本典道さんのお話、世界宗教者の集いでのお話他、盛りだくさんで、ここではご紹介しきれませんので、詳しくは、こちらのホームページをご覧いただければと思います。
https://www.hakamada-sukukai.jp/
門間幸枝さんと同行された会員の0さんは、袴田家も訪問

オリーブの鉢を巖さんへ。
さて、長くなりましたが、最後に、主催者から。
私たちは、どうして無実の巖さんに死刑判決が下ったのか・・どうしてデタラメとしか言いようのない証拠が採用されるのか・・袴田事件は、どうして?どうして?どうして?の連続です。
そこで、調べました。それを「わかる会」でお知らせしています。
もう21回もやっていますが、今回のレジメ一部をご紹介します。





どうぞ、「わかる会」にお出かけくださいませ。
<第22回「袴田事件がわかる会」>
日時:6月15日(土) 1時半~4時
会場:浜松復興記念館 (浜松市中区利町304‐2)
ゲスト:山崎俊樹さん(静岡清水袴田救援会 事務局長) 袴田秀子さん
<第23回「袴田事件がわかる会」>
日時:7月20日(土) 1時半~4時
会場:浜松復興記念館 (浜松市中区利町304‐2)
ゲスト:桜井昌司さん(布川事件冤罪被害者・冤罪被害者の会) 袴田秀子さん
主催:キッチンガーデン袴田さん支援クラブ
入場無料 事前申し込み不要
どうぞ、ご覧くださいませ。
さてみなさま、「袴田事件がわかる会」(以下、わかる会)続編は忘れたころにやってくる

おまたせしました~秀子姉さんです。文中()は私。一部省略。
「みなさん、こんにちは。ようこそおいでくださいました。この事件が起きたのは、私は33の時でした。それから53年経っておりまして86才ということですが、私は33歳までは、好きなことしてね、生きてきましたの。若かったからですが。
仕事もしてるし、写真も色々写してあったんですが、事件が起きた時に、アルバムなんか全部処分してしまおうと思いましてね。一切ないものとして、しまい込んであったんです。
やっとこの頃・・その封印がとけましてね。53年ぶりに若いころの写真をながめました。
まだ巖の事件は片付いてはおりませんが、そう言ってもしょうがないと思いまして・・まぁ、また33歳(事件)前の気分になろうと思いまして。53年前といえば、若いですね。もう本当に可愛らしい女の子でしたよ(笑)。今は、こんな、にくらしいババアになっておりますが、ワッハッハー。
ともかく、まだまだ頑張っていけると思っています。100才までには、まだ14年もございますの(笑)。14年あればね、なんとかできる!そう思ってね。皆様の応援を受けて、がんばってまいりますので、どうぞよろしく申します」
話に出た写真の1枚、お見せしましょう・・バリバリのキャリアウーマンです。
ゲストの門間幸枝さん

門間さんご夫妻が代表、副代表の「無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会」は、1980年11月19日、最高裁で袴田巖さんの上告が棄却された日、つまり死刑が確定した日、この不正義に怒った人達が最高裁の中庭で直ちに結成した会だそうです。社会評論家の高杉晋吾氏が代表となり、郡司信夫さん(ボクシング評論家)、寺山修司さん(詩人)、金平正紀さん(日本ボクシング協会会長)、川上林成さん(元東洋ジュニアミドル級チャンピオン)、松永喜久さん(ボクシングマガジン編集部)を世話人に、「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」として発足、それを受け継いで現在も精力的な活動をしています。
クリスチャンである門間幸枝さんは、ご自身が袴田事件に出会うまでのことから、現在の国内外の活動について話されました。
ご家族でピースボートで旅したお話、フィリピンのスモーキーマウンテンでゴミの街、そこで暮らす人々を見、戦争の爪痕を見、人権に目覚めたお話は、これまでの「わかる会」には登場しない内容で、ご参加の方々にも好評でした。
門間さんの会では、巖さんの獄中書簡集『主よ いつまでですか』を編纂しており、その際、涙なくしては読めない膨大な手紙の中から苦渋の選択をして本にしたエピソードも語られました。(よくぞ、世にだしてくださったと、私は感謝の気持ちでいっぱいです。なぜなら、その本が私を突き動かして今があるからです。多分、これを読んでいなかったら「わかる会」もやっていないし、袴田家に出入りしていない)
「無実なんだから、その無尽蔵の証拠があるはずだ。それを見いだせないのはお前たちの怠慢だ!」と当時の弁護士に言われ、クリ小刀他、会員で無実の証拠集めに奔走したお話、熊本典道さんのお話、世界宗教者の集いでのお話他、盛りだくさんで、ここではご紹介しきれませんので、詳しくは、こちらのホームページをご覧いただければと思います。
https://www.hakamada-sukukai.jp/
門間幸枝さんと同行された会員の0さんは、袴田家も訪問

オリーブの鉢を巖さんへ。
さて、長くなりましたが、最後に、主催者から。
私たちは、どうして無実の巖さんに死刑判決が下ったのか・・どうしてデタラメとしか言いようのない証拠が採用されるのか・・袴田事件は、どうして?どうして?どうして?の連続です。
そこで、調べました。それを「わかる会」でお知らせしています。
もう21回もやっていますが、今回のレジメ一部をご紹介します。





どうぞ、「わかる会」にお出かけくださいませ。
<第22回「袴田事件がわかる会」>
日時:6月15日(土) 1時半~4時
会場:浜松復興記念館 (浜松市中区利町304‐2)
ゲスト:山崎俊樹さん(静岡清水袴田救援会 事務局長) 袴田秀子さん
<第23回「袴田事件がわかる会」>
日時:7月20日(土) 1時半~4時
会場:浜松復興記念館 (浜松市中区利町304‐2)
ゲスト:桜井昌司さん(布川事件冤罪被害者・冤罪被害者の会) 袴田秀子さん
主催:キッチンガーデン袴田さん支援クラブ
入場無料 事前申し込み不要
Posted by 袴田家物語 at 14:25│Comments(0)
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