2019年10月01日
ゲスト河野義行さん・第25回「袴田事件がわかる会」続報②
10月になってしまいましたね、お待たせしました、続きです。
弁護士をつけることにしたのは、河野さんが事実と違う報道をするマスコミを訴えようと考えて、とのこと。
「地元の有力者に知り合いがいました。そこに行って弁護士を紹介してもらってこい、と長男に指示を出しました」と河野さん。
そして、そのお知り合い大槻さんのご尽力で、「腹の据(す)わった弁護士」永田弁護士に決まったそうなのですが、その大槻さんと河野さんとのご関係にも驚きます。大槻さんとは、河野さんが松本に越してきた時に入社した会社の顧問の方とか。その後、河野さんは別の会社に移られたのだと思いますが、大槻さんは事件直後28日には病院に駆けつけて来られ、親身に河野さんを助けられるのです。場合によっては弁護士費用も肩代わりする用意もおありだったとのこと。どれだけ河野さんが信頼され愛されるお人柄だったか・・わかりますね。留守宅に駆けつけて対応する人、残されたお子さんたちを引き受けようする人、河野さんの回りには、「河野君の一大事」と一肌脱ぐ方がたくさんおられる。
さて、河野さんに弁護士がついたという記事が報道されると、世間はどうなったか。
「河野に弁護士がついた、新聞で記事が流れます。世の中、総反発ですね。あの男は、7人も殺しておいて、弁護士を雇って自分の罪を逃げようとしている。なんて奴だ!そういう反応が一つ。そして、もう一つは、そんな奴を弁護する弁護士も弁護士だという反応。永田弁護士の事務所には、弁護士を誹謗中傷する電話、ファックス、手紙が殺到しました」とのこと。
これは、こういうことをする「世間」の人々、それを何とも思わない人々に人権意識がないからですよね、。
河野さんは無実ですが、たとえ7人死なせた殺人犯であったとしても、弁護士をつける権利はあるのです。人類の英知が築いてきた誰にも犯すことのできない権利です。これを忘れてはいけませんね。
それ以前に、河野さんは逮捕もされていないのですよ。何も分かっていないのに、「世間」は犯人と決めている。
袴田事件の巖さんと同じですね。
話を戻すと、弁護士が決まったのはよかったのですが、どうも河野さんと永田弁護士の話がかみ合わなかったとのこと・・・。
この続きは、また次回に
弁護士をつけることにしたのは、河野さんが事実と違う報道をするマスコミを訴えようと考えて、とのこと。
「地元の有力者に知り合いがいました。そこに行って弁護士を紹介してもらってこい、と長男に指示を出しました」と河野さん。
そして、そのお知り合い大槻さんのご尽力で、「腹の据(す)わった弁護士」永田弁護士に決まったそうなのですが、その大槻さんと河野さんとのご関係にも驚きます。大槻さんとは、河野さんが松本に越してきた時に入社した会社の顧問の方とか。その後、河野さんは別の会社に移られたのだと思いますが、大槻さんは事件直後28日には病院に駆けつけて来られ、親身に河野さんを助けられるのです。場合によっては弁護士費用も肩代わりする用意もおありだったとのこと。どれだけ河野さんが信頼され愛されるお人柄だったか・・わかりますね。留守宅に駆けつけて対応する人、残されたお子さんたちを引き受けようする人、河野さんの回りには、「河野君の一大事」と一肌脱ぐ方がたくさんおられる。
さて、河野さんに弁護士がついたという記事が報道されると、世間はどうなったか。
「河野に弁護士がついた、新聞で記事が流れます。世の中、総反発ですね。あの男は、7人も殺しておいて、弁護士を雇って自分の罪を逃げようとしている。なんて奴だ!そういう反応が一つ。そして、もう一つは、そんな奴を弁護する弁護士も弁護士だという反応。永田弁護士の事務所には、弁護士を誹謗中傷する電話、ファックス、手紙が殺到しました」とのこと。
これは、こういうことをする「世間」の人々、それを何とも思わない人々に人権意識がないからですよね、。
河野さんは無実ですが、たとえ7人死なせた殺人犯であったとしても、弁護士をつける権利はあるのです。人類の英知が築いてきた誰にも犯すことのできない権利です。これを忘れてはいけませんね。
それ以前に、河野さんは逮捕もされていないのですよ。何も分かっていないのに、「世間」は犯人と決めている。
袴田事件の巖さんと同じですね。
話を戻すと、弁護士が決まったのはよかったのですが、どうも河野さんと永田弁護士の話がかみ合わなかったとのこと・・・。
この続きは、また次回に
Posted by 袴田家物語 at 23:58│Comments(0)
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