2016年01月27日

理想的な平穏死 その2

理想的な平穏死 その2


昨日は、兄弟に「親不孝者!」とののしられ、大喧嘩になったと書きました。

それは、「胃ろう」をめぐっての話です。

「胃ろう」とは・・高齢になったり病気などで口から食事ができなくなった時に、お腹に穴を開けて管を通し、胃に直接栄養や水分を入れる人工栄養法です。聞きなれない方もいらっしゃるでしょうが、高齢者の終末期延命治療の代表格です。

ここに至る経過をご説明しましょう。

2011年6月、小規模多機能型居宅施設にいた母が食事の際にむせて、その後発熱したことから施設が病院に運び入院となりました。
そして、医師から「口からの食事は無理だから」と胃ろうをすすめられた、胃ろうするしかないようだ、と兄弟から私に連絡が入りました。

口からの食事が無理??一週間前には、訪れた私と母の親友と3人で饅頭やお煎餅をバリバリ食べてお茶のみした母が??食事も完食していた母が??
にわかには信じられない!

私は新幹線を乗り継ぎ、東北の母の入院先の病院に駆けつけました。
病室をのぞくと・・・ベットが並び、そこには意識のないような高齢者がうめき声をあげて横たわっていました。
母はいない・・ちょうど通りかかった看護師に聞くと、「ソレ」とベットのひとつをアゴでしゃくって示しました。
「ソレ」ってなんだ!!!物を扱うようなこの看護師の態度にビックリ。その後もずっと腹が立つのですが。

そこには、点滴の針を腕に刺して舌をだらりとたらした老婆が。よく見ると、悲しいことに母でした。
名前を呼んでも薄目を開けるだけ。

私は自分の目を疑いました。
たった1週間で、元気で大笑いしていた母がどうしてこんな姿に?!

これは後に関係者の話から、入院に混乱した母が大きな声で人を呼ぶため鎮静剤か何かを使われたためだろうと思うのですが。

あの母の姿を見て、母は終末期を迎えたのだと思わざるをえませんでした。

そこでの「胃ろう」問題発生です。

担当医師は、誤嚥性肺炎のおそれがあるため口からの食事はできないと食事を禁止しました。
「胃ろう」をしない場合は、餓死するに等しく余命3ヶ月くらいだろうとのこと。

「胃ろう」は、高齢者の延命治療としてここ10年で10倍にも増加。1日3回定期的に宇宙食のようなものを入れられる。口から食べられないということは「美味しい」と感じる人間の根源的な喜びの一つを奪われます。また、「今日はお腹がすかないから、いりません」とはいえないのです。直接胃に入った流動食は、体の機能が衰えた高齢者では食道に逆流することもあり、肺炎を起こすこともあるとのこと。

*一番楽なのは自然死・・「我々はとかく、栄養補給や水分補給は、人間として最低限必要な処置だと反射的に考えますが、それはまだ体の細胞が生きていくための分裂を続ける場合の話です。老衰の終末期を迎えたからだは、水分や栄養をもはや必要としません。無理に与えることは負担をかけるだけです。苦しめるだけです。・・・このことを証明した欧米の文献は少なくありません。また、長年老年医学を研鑽している植村和正氏は、老衰で死ぬ場合は、栄養や水分の補給がない方が楽に逝けるという立場をとっています」(石飛幸三著 『平穏死のすすめ』
より)

*「経口摂取が不能であるという判定は科学的になされなければならないが、現実にはまだ完成していない分野である。」

これに先がけて、私は「文芸春秋」誌上に石飛幸三医師が「平穏死」について書かれた論説を偶然読んでいました。心臓外科医として活躍されていた石飛医師が特別養護老人ホームの常勤医となり、「胃ろう」や経鼻胃管(鼻の穴を通して胃の中に入れられた管)を受けている入所者を目の当たりにした時の衝撃。幾多の苦難に耐え、それを乗り越えてきた人生の果てに、まだこのような試練に耐えなければならない現実の理不尽な思いがそこには綴られていました。それは、読む私自身をも衝撃の渦に巻き込むには十分な内容で、それから私は石飛幸三医師や中村仁一医師、長尾和弘医師他、高齢者の延命至上主義医療の現状に異議を唱える医師の本を読みあさりました。

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の著者中村仁一医師は、「胃瘻は一種の拷問」「死にゆく自然の経過は邪魔しない」「死にゆく人間に無用な苦痛を与えてはならない」と言っています。

欧米では口から食べられなくなった高齢者に「胃ろう」など延命処置をしない。
しているのは日本だけだとか。

私は一切の延命治療は行わないことが娘として最後に出来る親孝行であると確信し、これを実現させると決意したのでした。

もちろん、命は本人のものであるから、どうするかの選択は本人がすべきことです。

しかし、話ができない状態の母に聞くことはできない状況でした。

私には、母が延命治療を望まないという確信がありました。

母の母親(私にとって祖母)の最後の時のことです。もう意識なく苦しむ母親を前に、母は点滴をする主治医に「点滴をもうやめてください。これ以上母を苦しませることはできない」と泣いて訴え、最後の最後まで治療をやめることはできないと言う主治医と対立したのを見ていたからです。自身も「管つけられるなんてまっぴらごめんだ」とよく言っていたものでした。

さて、「平穏死」実現のために、まずは兄弟の説得です。

「なにもしないで母親を見捨てるなんて、よくも言えたもんだ!」
「親を餓死させるなんて、おまえは鬼だ!」
怒る兄弟には、まず、石飛幸三医師の論説が載っている「文芸春秋」を読んでもらいました。
そして、私が学んだ終末期についての知識を総動員して説得を続けました。
さらに「胃ろう」をしても数ヶ月しか延命効果はないと主治医が言ったこともあり、兄弟も次第に冷静になり「胃ろう」をあきらめるに至ったのです。

主治医は、拍子ぬけするくらい「あ、そう」でした。
(後に経口摂取について、この主治医と対立するのですが・・)

さて、これで母を平穏に見送れるか・・と思ったら大間違い。

これからが、また驚くべきひと波乱あるのでした。

続きは、明日!










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