2018年01月15日
袴田巖さん 熊本典道元裁判官を見舞う
「熊本さん・・・イワオを連れてきたよ」
秀子姉さんの声は震えていました。
熊本さんは、声のする方に目だけを動かし、その目が巖さんと秀子姉さんを捉える。
「熊本さん、わかる?・・イワオだよ」
大きく見開かれた熊本さんの瞳は、驚愕しているようでした。
黙って熊本さんを見つめる巖さん。その巖さんの眼差しが優しかった。
ベットの縁に置いた巖さんの手を、秀子姉さんが握っています。
すると・・・「イワオ~」・・・「イワオ~」
熊本さんが嗚咽。そして間欠泉のように「イワオ」の叫びが噴出。
私も熱いものが込上げ、涙を拭いました。
すると、横にいた熊本さんのパートナーSさんが私に
「ずっと謝りたかったですけんね」。
清水の味噌会社専務一家強盗殺人放火事件の犯人とされた巖さんが無罪であると確信しながらも死刑判決文を書いた当時の主任裁判官であった熊本典道さんは、長年罪悪感にさいなまれ、2007年その事を公表し、巖さんを救う活動に身を投じていました。
そうなのです!
秀子姉さんが、熊本さんの積年の思いを叶えてあげた瞬間だったのです。
熊本さんが、浜松に来て巖さんに謝りたいと言っている事は秀子姉さんから私も聞いていました。
しかし、熊本さんは病床にあり、もう浜松に来ることは叶わない状況。
それなら、いつか巖を熊本さんのところに連れて行きたいとも聞いていました。
そして、先日8日の昼前です。
お昼ご飯を一緒に食べようと、私が袴田家を訪問したのは11時。
この時、まさか福岡に行くことになるとは思いもしませんでした。
「巖さん、こんにちは」とご挨拶すると・・
「今日のスケジュールはだね・・ローマへ出かけることになっているんだ」
その事を秀子姉さんに伝えると・・
「なに?ローマに出かける?よし、それじゃー熊本さんのとこへ行こう!福岡だ!」と即決。
13時50分発の新幹線に乗り込んでいました。
秀子姉さんという人は、澄み切った川のような人だと思います。
いつも合理主義で流れているから澱がない。恨み辛みが澱んでいない。
それに・・人の心を解し、賢明で優しい人です。
「もっと早く熊本さんが告白してくれたら・・とは思わない?」と知り合って間もない頃聞いたことがあります。
「そんなこたぁ~思わないさ。熊本さんだって、何も黙ってれば楽なのに、あえて言ってくれたわけだもの。そりゃ~有難いさ」
熊本さんが巖さんの無実心証を公表した勇断と、秀子姉さんの寛容感謝が引き合った劇的な場面でありました。
この寛容は巖さんにもあると断言したい。
私はまた、眼前の光景が奇妙にすら感じていました。
50年という月日が逆転をもたらしていたからです。
今、自由を手にしているのは、かつて自由を奪われていた巖さんの方。
他方、今、自由を奪われているのは、身体的な理由にせよ、かつて自由を奪った側の熊本さんの方。
熊本さんは全身の自由がきかず、水も飲めない状態でした。
「最後は勝つ!」巖さんのこの言葉が、現実のものとなってきています。
熊本さんの良心と勇断が後押ししたと言えるでしょう。
別れ際、秀子姉さんは熊本さんの顔に触れながら言いました。
「熊本さん、元気ださにゃー(方言)・・・ね」
私の涙は、その時また流れました。
2018年1月9日のことでした。
Posted by 袴田家物語 at 15:00│Comments(0)
│無実の死刑囚 袴田巌さんとともに